2019/2/26

2007年のことだと思いますが、

「もしも1冊だけ推薦するとしたら、お奨めしたい本はありますか?」という質問を、ブルースにしたことがあります。

 

「A Course in Miracles」

 

躊躇なく答えてくれたのが、この本でした。

当時はまだ和訳されていませんでしたが、今は日本語版も複数出版されていますね。

私はこの本を読んでいませんが、最近頂いたメールに、たまたまこの本について少し書かれていたのを読んで、とても驚きました。

以下、「レッスン1」について

 

この部屋の中に(あるいは、この路上に、この窓の外に、この場所に)見えているものには、なんの意味もない。

 

1.周囲をゆっくり見まわし、目に入るものなら何でにも、この主題概念を具体的にあてはめる練習をする。

  ・このテーブルには何の意味もない。

  ・この椅子には何の意味もない。

  ・この手には何の意味もない。

  ・この足には何の意味もない。

 

2.次に目の前から、もっと離れたところへ視線を移し、広い範囲にこの概念を適用する。

  ・あのドアには何の意味もない。

  ・あの体には何の意味もない。

  ・あの影には何の意味もない。など

 

3.これらの文が特定の順序に並べられないことや、対象の種類も区別されていないことに留意する。

  それがこの演習の目的。

  この表現を、目に入るものなら何でもただあてはめていけばよい。

  練習においては、今日の概念を全く無差別に使用する。

  演習が儀式的になってはいけないので、目に入るものを一つ残らず練習の対象にしようとしてはならない。

  但し、目に入ったものの中で特別に除外するものがないように注意。

  この概念の適用に関する限り、どれもみな同じである。

 

4.これとこれから行う3つのレッスンは、いずれも、1日に2回。

  できれば朝と夜に行い、それ以上行ってはならない。

  また、1分以上続けようとすべきではないが、急いで1分以内におさめる必要はない。

  ゆったりと寛いだ感覚が大切である。

 

メールでシェアしてもらった「レッスン1」を読んで、非常に驚いたことがあります。

10年前に信念体系クラッシュを経験してから、私はこの「レッスン1」を日常的にしていることが多いのです。

ここに書いていることと全く同じことを。

そういう視点で、ただあり続けるということを、確かに1回につき1分程度でやっていました。

しかもそれをしている時は、常に「ゆったりと寛いだ感覚で」それをやっていました。

全部無意識ですけど。

自分が無意識にそれをしていたこと、時間までたまたま同じなことに、とっても驚きました。

なぜそんなこと始めたのか、全く分かりませんが、気がついた時にはそれを日常的にしていました。

それに何の意味があるのか?考えたこともありませんが、この世界を見る時に、そういう気持ちになるんですね。

毎日ではありませんが、この10年間、無意識にそれを継続していました。

 

「奇跡のコース」

読んでみようかな?という気にはならないんですが(笑)、ブルースの推薦書として、お奨めします。