2007年のことだと思いますが、
「もしも1冊だけ推薦するとしたら、お奨めしたい本はありますか?」という質問を、ブルースにしたことがあります。
「A Course in Miracles」
躊躇なく答えてくれたのが、この本でした。
当時はまだ和訳されていませんでしたが、今は日本語版も複数出版されていますね。
私はこの本を読んでいませんが、最近頂いたメールに、たまたまこの本について少し書かれていたのを読んで、とても驚きました。
以下、「レッスン1」について
この部屋の中に(あるいは、この路上に、この窓の外に、この場所に)見えているものには、なんの意味もない。
1.周囲をゆっくり見まわし、目に入るものなら何でにも、この主題概念を具体的にあてはめる練習をする。
・このテーブルには何の意味もない。
・この椅子には何の意味もない。
・この手には何の意味もない。
・この足には何の意味もない。
2.次に目の前から、もっと離れたところへ視線を移し、広い範囲にこの概念を適用する。
・あのドアには何の意味もない。
・あの体には何の意味もない。
・あの影には何の意味もない。など
3.これらの文が特定の順序に並べられないことや、対象の種類も区別されていないことに留意する。
それがこの演習の目的。
この表現を、目に入るものなら何でもただあてはめていけばよい。
練習においては、今日の概念を全く無差別に使用する。
演習が儀式的になってはいけないので、目に入るものを一つ残らず練習の対象にしようとしてはならない。
但し、目に入ったものの中で特別に除外するものがないように注意。
この概念の適用に関する限り、どれもみな同じである。
4.これとこれから行う3つのレッスンは、いずれも、1日に2回。
できれば朝と夜に行い、それ以上行ってはならない。
また、1分以上続けようとすべきではないが、急いで1分以内におさめる必要はない。
ゆったりと寛いだ感覚が大切である。
メールでシェアしてもらった「レッスン1」を読んで、非常に驚いたことがあります。
10年前に信念体系クラッシュを経験してから、私はこの「レッスン1」を日常的にしていることが多いのです。
ここに書いていることと全く同じことを。
そういう視点で、ただあり続けるということを、確かに1回につき1分程度でやっていました。
しかもそれをしている時は、常に「ゆったりと寛いだ感覚で」それをやっていました。
全部無意識ですけど。
自分が無意識にそれをしていたこと、時間までたまたま同じなことに、とっても驚きました。
なぜそんなこと始めたのか、全く分かりませんが、気がついた時にはそれを日常的にしていました。
それに何の意味があるのか?考えたこともありませんが、この世界を見る時に、そういう気持ちになるんですね。
毎日ではありませんが、この10年間、無意識にそれを継続していました。
「奇跡のコース」
読んでみようかな?という気にはならないんですが(笑)、ブルースの推薦書として、お奨めします。